Article 04

岩惣

広島県
 - of 岩惣

JR山陽本線の宮島口駅で列車を降りる。と、すぐ目の前に港があり、そこから船に乗って、厳島の港に着く。
頼んでおけば、宿から迎えの車が来てくれるが、先ずは厳島神社へお参りをし、境内を通り抜けて、宿へと徒歩で向かうのが正しい。

鹿が遊び、潮が間近に寄せる参道を経て、板敷の回廊を進み、やがて大鳥居と向き合う本殿へと辿る。ここで手を合わせた瞬間から『岩惣』の時間が始まると言っても過言ではない。神の島の宿なのだから。
社を出て少しばかり坂道を上り、古式ゆかしい玄関を潜って、一歩宿に入れば、神社の境内と同じ空気が流れていることに気付く。 
それは何も荘厳だとか、霊性といったものではなく、とかく宿にありがちな猥雑さを排し、敬虔で清らかな空気が流れているという意である。

だからと言って『岩惣』は窮屈を強いるような宿ではない。寧ろその逆で、老舗宿特有の排他性もなく、すべての客をふわりと包み込む、やわらかな、味わい深い宿なのである。
それはきっと、この宿が、道行く人たちに憩いの場を設けんとして建てられた、茶屋が前身だからだろう。紅葉狩に出掛けて、茶の一服も、という軽やかな気持ちで泊まれるのが『岩惣』の魅力である。

障子格子、欄間、透かし窓、或いは玄関障子。精緻でありながらも軽みを持つ、これもまた、宿に味わいを与えている。味とは、食だけに限ったことではない。それをこの宿が教えてくれる。
古き装飾を生かしつつ、洗面や浴室には新しきを設える。伝統に甘んじることなく、常に進化させている宿は、温泉を備えるに至った。

古くからの井戸水をたしかめて温泉と分かり、〈若宮温泉〉と名付け、老舗宿に新たな魅力を加えた。広々として、開放感溢れる大浴場の湯に浸かれば、温泉宿と位置付けてもいいくらいの心地よさだ。
日本三景のひとつに数えられ、かつ神の島として知られる厳島の中で、まさか温泉に浸かれるとは誰も思わなかったに違いない。ゆっくりと湯船に身を沈めれば、じわじわと身体が温まって来る。
美しき部屋。温かき風呂と来れば、後は旨し食。無論抜かりなどあるはずも無く、瀬戸内の幸をメインに据えて、オーソドックスな懐石スタイルながら、新たな趣向も加え、美食の宴が繰り広げられる。

分けても秋から冬に掛けては、名産宮島牡蠣が何よりのご馳走。ぷっくりと膨らんだ焼き牡蠣は、磯の香りを漂わせ、厳島の秋を高らかに謳う。通年味わえる穴子も又、厳島の名物。煮ても焼いても美味しい。老舗の美食宿で温泉まで愉しめる。海外からの旅人にも人気が高いには、ちゃんと理由がある。

ライター: 柏井